お侍様 小劇場

   “隣りは何を…” (お侍 番外編 29)
 

 
 それまでは、昼の間はまだまだ汗ばみ、朝晩の気温差が結構あったのが。今日はいきなり…つい昨日までそんな毎日だったのが嘘のよに、お天気はまだそれほど悪くもないのに、頬へと吹きつける風が妙によそよそしくなったなぁと。そんなこと、しみじみ感じてしまうほどの冷え込みとなった昼下がりで。

 “……お?”

 そろそろ本格的に長袖のシャツだの上着だの、出しておかなきゃとタンスをかき回し、そのついでに出て来たところの、古雑誌や買い物でもらった紙袋などなどを、資源ごみに出さなきゃあと束ねての、さて。今日は作業の手も空いている平八が、話相手欲しやで ひょいとお隣りの芝生の向こうまでをと見通せば。ぴかぴかに磨いた大窓越しに、きれいに整頓なされたリビングが透かし見え。その窓に横顔を向けておいでのお留守番、七郎次さんの姿も見えたのだけれど。

 “あれれぇ?”

 白くて繊細、そりゃあ品のいいお顔が、ちょっぴり悩ましげに曇ってて。リビングのソファーに腰掛けての、珍しいことには姿勢をたわませての前かがみ。何だか元気がないというか、それは判りやすくも思案に暮れてるように見えたのが気になって、

 「どしました?」
 「……っ☆」

 不意な声掛けへ、七郎次が肩を跳ね上げて驚いたのも無理はなく。
「すいません、驚かすつもりはなかったんですが、ついつい気になって。」
 気がついたら垣根を越えてのわしわしと。お隣りさんの芝生を横切り、リビングまでへと一直線していた平八だったらしくって。お隣の小柄なメカニックさんの気配、鍵をかってなかった大窓を、からりと開けての上がり込むまで、全く気がつかなんだ七郎次だってのもまた珍しく。

 「…あ、ああ。そうでしたね。ヘイさんは殊の外、視力がいいんでしたっけ。」

 特に意識しての覗き込まずとも、例えば向かい合う形の電車の座席、大向こうに座ってるお人が広げた新聞の、そりゃあ細かい文字まで読めてしまえる彼なのは、七郎次も知っていたことだったから、
「案じさせてしまいましたか。」
「いえ、まあ…。」
 家の中だからと、安心して緩んでたんならごめんなさいと、一応は謝ってから、

 「で? 何を案じていらしたので?」

 答えないとか誤魔化しは聞きませんよという、優しいけれど容赦もない、最強の恵比須の笑顔を向けられて。

 「えとうと、あの実は…。」

 恥ずかしいところを見られたなぁとの、まだどこか、ためらいの気配も濃いままに。あ、どうぞ座って下さいなと延べられたのとは、違う方の手に何か。そのままそんな自分の手元を見下ろした七郎次が持っていたのは、小さなカードのようなもの。
「MDじゃないですか。」
「ええ。」
 一昔前はカセットテープが主流でしたのに、あっと言う間にこれが席巻し。そして今はといえば、フラッシュメモリタイプのや、超薄型の i-Podなどなどといった、ダウンロードした音楽ファイルを格納&再生する“MP”に、取って代わられつつある音楽媒体。何のラベルもない、至ってシンプルなMDが1枚。他愛のない代物であるはずが、だってのに…何だかそわそわと落ち着かない七郎次であり。見ていた平八までもが“???”とその視線をついつい寄せてしまっていると、

 「あの…あのですよ? ヘイさん。」
 「はい。」

 やたら神妙な顔つきとなり、落ち着かぬ視線はまるで、周囲の何かを伺うような気配さえ滲む。口にすることさえ憚られるような、そんなまで大それた何かを、平八に訊きたい七郎次であるらしく。とはいえ…こうまで大仰な聞き方をする時ほど、

 “物凄く何でもないことなのがセオリーな、困ったお人なのだけれど。”

 そうだったとしても、ご本人は至って真剣なんだから。笑ってしまっては傷つくぞという心構えの蓄積が出来ているほど、平八にとってもお馴染みな、他愛ないことへの煩悶だろうと思っておれば。

 「これ、久蔵殿が捨てようとしていたものなんですが。」
 「はい。」
 「何が入ってるか、聴いちゃったら…いけませんかね?」
 「はいぃ?」

 さすがにそれは…と、窘めるような顔をしかけた平八だったものの、ちょっと待てと。

  ―― わざわざ人へと聞くことか?
      いやさ、その前にああまで煩悶することだろか。

 お年頃の次男坊の何もかも、把握してたい彼なのへ。そこまで立ち入るのはやり過ぎではという、それこそ過保護な母親によくある行為への窘めを、まずは感じた平八だったけれど。この七郎次は、確かに、掌中の珠のごとくに、ともすりゃ舐めるようにあの久蔵を可愛がってもいるけれど。だからといって“過ぎる干渉”とやら、これまでしていた彼だろか?

 “向こうから存分に擦り寄ってたから必要はなかった、とも言えましょうが。”

 玲瓏な風貌にはそぐうことながら、それはそれは寡黙な久蔵ではあるが。お互いが熱烈なほど大好きな同士の母子
(?)なだけに、そこへの“干渉”というフレーズが、妙に馴染みが悪いことのような気がしてしまい。そして、そんなこんなと感じてしまった平八の沈黙を、どう解釈した彼だったものか、

 「えとあの、やっぱりいけないことだろなと思いはしたんですよ。
  ただ、これって、封筒に入ってたんですよね。」
 「封筒?」

 七郎次がいうには、今日が燃えるゴミの日だったのでと、昨日の午後のうちに各部屋ごとのごみ箱を浚って回ったのだとか。そのおり、二階の久蔵の部屋のごみ箱の中身を、大きいポリ袋へと無造作に空けたところが、床のフローリングを直撃したらしい“かつん”という堅い音がした。それで“おや、不燃物を混ぜてるな?”と思っての、ボールペンだの何か買ったときのケースだのが紛れていたなら退けないとと。まだあんまり中身の埋まっていない袋の中を見回すと、形式張ったお便りに使いそうな二重封筒が、半分くらいに折り畳まれて一番下になってたそうで。

 「その中身が、このMDだったんですけどもね。」

 間違えて捨てたのかなと思ったんですよ。中を改めないで、要らない封筒だと決めつけて…とか。そこで、訊いてから処分した方がいいかと思ったんですが。
「…封筒に入ってたなんて。何だか意味深だと思いませんか?」
「そでしょうか。」
 だって。大概はケースに入れるか、プレイヤーに入れっぱにするか。
「英会話の教材とかだったなら、ラベルが貼ってあろうし。」
「それは…そうですよねぇ。」
 成程、七郎次の言うことにも一理あり、ついつい肯定してやれば、

 「そんなこんなと思ううち、
  そういやアタシ、久蔵殿が好きなアーチストとか、
  全然知らないなぁって気がつきましてね。」

 つまりは…中に何が収録されているものか、知りたいけれど、それって覗きにあたりゃあしないか?と。そっちのモラル的なところにもちゃんと気がついていたがため、どうしたものかと うにむに煩悶しておいでであったらしい。自分でも“何言ってるかなぁ”と言われそうな予測はあるのか、途中からは とうとう平八とも視線を合わせずの、お膝の上でもじもじさせてる自分の白い手ばかりを見ている彼であり。自分よりも上背のあるお兄さんのそんな仕草が、

 “…どうしよう、可愛いとしか思えないぞ。”

 じゃあなくて。
(苦笑) そこで即答出来ずの“う〜ん”と唸ってしまった平八だったのは、

 「…シチさん、別に聴いてもいいと思いますよ?」
 「そうでしょか?」

 ええ、何なら聴いたことを黙ってりゃあいい。何かの教材みたいだって判ったとしても、聴いてみてそれと判ったなんて一々言わなくてもいい。ただ“これって捨ててもいいものなの?”と改めて訊きゃあいいんですって。けろりと言ってのけてから、
「つかぬことをお訊きしますが、久蔵殿とシチさんは、お互いへ何か隠しごととかしたことがありますか?」
 訊かれた刹那、きれいな青玻璃の瞳をキョトンと見開き、それからおもむろに、
「いいえ、ありません。」
 間が空いたのは“何も今そんなことを訊かなくたって”と感じたからだろう。そしてそれへと“やっぱりなぁ”との苦笑をし、人差し指の先でほりほりと頬を掻いてしまう平八で。

 “だから、気になったんでしょうにね。”

 隠しごとだったなら、触れないほうがいいのかな? 好奇心とはまた別の次元で、そんな判断を初めて求められてしまったようなもの。だから…詮索はあまり好きじゃあなかったはずの七郎次が、なのにああまで煩悶してしまったのであって、
「何も久蔵殿が頑なに隠してるものを、無理からこじ開けて覗こうってんじゃあなし。」
「ですが…。」
「いいですか? シチさんは久蔵殿の保護者なんでしょう?」
 知りたいなら知りたいで、知ろうとしたって構わない。プライバシーを侵したみたいだったなら、大人としての“見なかった振り”や“知らない振り”をちゃんとこなせばいいんです。

 「そんなことくらい隠し通せなくてどうしますか。」
 「………あ。」

 はっと、弾かれたように眸をしばたたかせた、金髪美貌のおっ母様。親というよりも大人としての心だてを諭されたような気がしたものか、
「ヘイさん…。」
 きれいな手を胸元に当てると、今度はどこか感に入ったようなお顔をするものだから、
「だあもう。大仰なんですて、シチさんは。////////」
 早い話が、今のうちにちゃっと聴いてみて、なぁんだって終わっときゃあいいことだってだけの話。どうせ今時に流行ってる曲を録りだめした、個人的な編集ディスクってだけですてと。大したこたぁないないと笑って差し上げ、
「さぁさ、善は急げだ。」
「あ・ちょ…ちょっと、ヘイさん?」
 立ち上がったそのまんま、勝手知ったる他人のお家の、そのお二階に立派なオーディオルームがあるのを目指してのこと。今やどっちが積極的になっていることなやら、平八がほらほらと手を引いてやり、二階までをと駆け上がる。久蔵が私室として使う部屋とは廊下を挟んだ南側。防音設備も整い、ホームシアターの機器も充実させたという、サンルームを改造した大部屋の、

 「えっと、これだな。」

 再生用のプレイヤーを見つけると、電源を入れ。てきぱきセットしてしまった平八であり。
「久蔵殿は、今日はお帰り、早いんですか?」
「いえ。放課後に剣道部の練習もあるそうですから。」
 このところの常で、早く上がれても6時になりそうだと。さすがに、勝手な早上がりはさせてもらえなくなったらしい彼なのを伝えれば、よしよしと頷いた平八、行きますよと再生のスイッチを押して見せ、

 「さぁて、何が入っていますかね。」
 「わ〜〜〜。///////」

 今更 何を照れてるものなのか。口元をうにむにさせるところは、次男坊とそっくりの含羞みようをして見せたおっ母様。それでもその口元を両手で蓋して、今か今かと何か聞こえて来るのを待つことしばし、

 【 …がお送りします。】

 ふっと突然始まった音声は、予想に反して何か番組の冒頭のナレーション風。冷たくはないが事務的な、スポンサー名を告げる女性の声の尻尾が、ふっと逃げるように消えたその後へ、ストリングスの演奏だけがゆったりと響いていた中へ、

 【 何だか秋めいた風に気がついて、窓の外、ふと見上げれば、
   思いがけないほど澄んだ夜空に、冴えた月が浮かんでいました。
   …こんばんわ、K・徹です。八月最後の土曜の夜、いかがお過ごしですか?】

 落ち着いた声音の男性DJが、季節感あふれるフレーズとご挨拶とを述べたから、何かFMの番組を録音したものであるらしく。

 「ははあ、お気に入りの特集か何かを録音したんでしょうかしら。」

 自分も若いころに覚えがあるものか、くすすと口許ほころばせて微笑った七郎次だったのに対して、

 「……………。」

 平八のほうは、何とも言い出さずにただただ耳を澄ましている様子。オープニングの曲に続き、少し古いめのスタンダードナンバーに乗せて、

【暦の上ではもう秋だとはいえ、まだ今少しは、蒸し暑い日々が続きそうですね。】

 というような、八月末に合わせた話のとば口から引き続き、ちょっとしたエッセイや詩のようなさりげない一節を、DJの静かなお声が落ち着いたトーンが綴る。ノスタルジックな語りは、それはそれは穏やかで。就寝前に心静かに聴いていられる、大人向けの静かな番組であるらしく。ちょっと微妙な癖がある、独特な響きをする声ながら、陽気に高まれば晴れやかにつやを増し、低められれば随分と甘くなっての雰囲気のいい。伸びやかで表情豊かな、なかなかにいいお声のDJさんで。

 【 それでは、ジョージ・ウィンストンの、あこがれ/愛。】

 何かのCMだったかで一時よく聴いた、詩情豊かなピアノの演奏が始まって。あ、これ好きだったんですよねと、七郎次が呟いたその途端、

 「…あれ?」

 いきなり曲がぶつっと途切れた。それから、数秒の間が挟まってののち、
【 クラシックともジャズとも呼べない、ストリングスのニューウェイブ。今でこそ、これらもスタンダードな曲となりましたが…、】
 さきほどのDJのお声が始まって、今度は他愛ないお喋りを穏やかに紡ぎ始めて。
【 では次の曲、】
 と、今度はそうと告げたその途端に、ぶつっと途切れてしまう始末。

 「?? 何なんでしょうか? これって。」

 お気に入りの曲を集めて自分のディスクを作るのと丁度正反対、DJの語りばかりで曲は満足に入っていない、虫食い状態のそれであるらしく。

 「……シチさん、気がつかないんですか?」
 「何がです?」

 キョトンとするばかりの麗しの君は、真剣本気で妙なディスクだとしか感じてないらしかったけれど、

 “そっか。自分の声って内耳で反響する分、
  人が聴いてるのとは違って聞こえるっていいますものね。”

 見回した室内の片隅に、MPだろうか携帯オーディオのパッケージらしきものが寄せてあったので。お小遣いで買ったのか、それとも勘兵衛からのお土産かは知らないが、久蔵殿もそちらを入手したので、それまで聴いていたMDとはさようならしただけの話であったらしいと。何とはなくの察しをつけた平八だったが、

 “さぁて、どう説明すれば、この変梃子な“中身”を理解するシチさんなのやら。”

 これは困りましたねと。大変なことへの解説を前にしてのと…それから。相変わらずにかあいらしいことをしているらしき、花のような姿をしつつ、凍るような太刀筋で名を馳せておいでの、高校最強のクールな剣豪さんへ。擽ったくてたまらないという苦笑が、どうにも止まらなかった平八だったのは、言うまでもなかったりする。






  ◇  ◇  ◇



 【 …今宵は十三夜ですね。こんばんわ、K・徹です。
   今日から3連休だという人も多かったのでしょうに、
   雲行きが怪しくて。
   せっかくの月夜があいにくの雨となっているところもあるようですね。
   あなたの町はいかがでしょうか? それでは、今夜の一曲目…。】


 特に定期考査が間近いという訳でもないというのに。土曜の晩だけ、こそり夜更かしをするようになった次男坊。勘兵衛に初めてのおねだりをし、ベッドに横になっていてもFMが聴ける、録音も出来るモバイルを買ってもらったのが先々週。

 「……。」

 いつも途中で眠ってしまった。録音するにも要領が悪くて、どうしてだろうか早朝の別番組が上へ重なって録音されてたりと、まともに収録出来てたのは一度きり。でもでも、今のモバイルは勘兵衛にセットしてもらってあるので大丈夫。先週の放送分は、なんとリクエストのコーナーで、初めて出したメールをKさんに読んでもらえて、

 『〜〜区の久蔵くん、高校生ですか、こんばんわ。』

 そんな風に声掛けまでしてもらえたので、それを収録したSDメモリは、早速にも保存盤の宝物にしていたり。

 “…もうちょっと。”

 もうちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、軽やかな明るさがあれば完璧にそっくりなのにと。そんな微妙な違い、個人差としてあって当然の差異を、随分と残念がってる久蔵だったが。同じ番組を、今宵は…平八と、それからオフィスでは勘兵衛が、やはりヘッドフォンにて、こそり聴いていようとは露知らず。

 【 ではここで、紳士服の○○○がお送りする交通情報です。】

 管制官らしき女性の声へと切り替わったその途端、ついつい舌打ちした大人げなかったお人は、はてさて誰だったやら。それだとて大事な情報ですのにね。雲間に埋もれたお月様、しょうがない人ですねぇと苦笑をしていた秋の夜…。






  〜Fine〜  08.10.11.


 *拍手お礼にしようと思ったんですが、
  例によって字数オーバーしたので普通に投下です。
  安楽椅子探偵で、2時間まるっと草野さんのお声を聞けた記念にvv

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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